ゆめみるきかいは、2011年6月に公演しました。
その前に、シンガポールに行きました。
僕はそこで、markという男性アーティストと知り合いました。
公演が終わって最終日、markが街を案内してくれる事になりました。
markの提案は、街の外れにある植物園を案内する事。少し遠いので寄り道をしながら1日かけていくとのこと。
僕以外の何人かは、もともと自分たちで行きたかったところがあるので、町にいきました。
僕はmarkが面白そうだな。と思ったのでmarkと一緒にでかけました。
道を歩きながら、音楽の話しになりました。
お互い、日本の面白いミュージシャンが大好きだったことがわかり意気投合しました。
markに、シンガポールの音楽は?伝統的な文化はあるの?と聞くと、
「no」ほとんどない。とのことでした。
歩く途中に、たまたまシンガポールの博物館がありました。
markが「入る?」と聞いたので「いこう!」といいました。
中に入ると、「♪シンガポーール!!」と荘厳荘厳荘厳な合唱曲が鳴り響き、強力な場所だな。と感じました。
すすむと、シンガポールの歴史順に展示がされています。
海賊の漁村。領地。植民地時代。阿片。様々な支配の歴史と呼べるような苛烈な出来事の展示が続いていました。僕たちはゆっくり、ひとつずつ丁寧に見ていきました。
伝統の歴史がある?伝統の料理は?と聞いた事は、このように、様々な国の争いに巻き込まれ続けているシンガポールにとってなんて大変な質問だったのだろうか。そう感じました。
そのあたりでmarkが「先に行くね」とすーーっと先に進みました。
そらに進むと、そこは第二次世界大戦の時代の展示でした。そこに、日本軍がシンガポールを進軍している、(僕の目には、侵攻しているようにうつりました)資料が並んでいました。
僕は、うっ、と息の塊が喉前にたまるような感覚がしました。そこには欧米人もいっしょに展示を見ていました。恥ずかしい事ですが、僕はそのとき迄、シンガポールに日本が進軍しているなんてことをしらずにいました。博物館の中でぽつんと、ひとり、過去の痛ましい出来事と向かい合う時間がありました。
その資料を抜け、そのあとのシンガポールの経済成長をしていく展示となり、出口でした。
出口にmarkはいて「もうおわったことだよ。」と、いいました。
それから、夜の植物園。小さなバナナの妖精のはなしなどをしました。
知らないこと。
隣にいることだけが必要なことではないこと。
自分自身で体感する時間。
ていねいなむきあいかた。
など、様々なことをこの出来事から、markから教えてもらいました。
そうして、自分でなにかこの体験を返す事が出来ないか。
と思い、記憶を創造すること、誰かの記憶を共有することをめざし、
人間の平面化などをいれてゆめみるきかいをつくりました。
そのあと香港にいったり、中州にいったりしました。
そしてとうとう日本の原爆体験の町であるヒロシマに行く事が出来ます。
このことが、とても楽しみでなりません。
楽しみ、というと、少し違うかもしれませんが、
どうなるのだろう。この場でなにがうまれるだろう。と、わくわくしています。